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「春琴」 [演劇・芸術]

@世田谷パブリックシアター、チケット代は6500円(SePT会員)。公演時間は1時間50分。

 サイモン・マクバーニー演出による作品。2008年初演。約1年で再演し、観劇したのは今回が初めて。

 谷崎潤一郎の「春琴抄」「陰翳礼讃」がモチーフ。しっかりとした学生時代を送らなかった私は両作とも未読でしたが、仮に知っていない状態でも話を理解することは可能でした。もちろん、原作を読んでいた方が自分が捉えた部分と、本作で捉えられた部分の比較などができて良かったのかもしれませんが……。

 上演前の舞台は奥の壁が客席近くにまでせり出されており、いったいどのような舞台になるか関心を寄せられる。果たして舞台が始まると、出演者が横一列にならび、語り、着替える者もある。そうしているうちに1歩2歩と下がり始めるとともに、壁も下がっていく。音、がしたのかは今となっては失念気味ですが、実に印象深いスタートに自然と舞台に引き込まれていったのが正直なところ。

 舞台は春琴と佐助が生きた時代、2人の関係を探る男性、それに春琴に関する番組のナレーションを担当する中年女性のシーンと3つに分かれている。春琴と佐助の関係は客席から観ていても異常であり、春琴のサディスティックさ、それに従う佐助という構図が普通ではない感覚を思わせる。後半に行くにつれて、恍惚的な印象すら感じた。

 演出や出演者たちの演技、舞台美術等と素晴らしいと感じさせる部分が多すぎる舞台だったが、やはり何より春琴それ自身の演技を人間ではなく、人形を使った点。終盤、成人後の一部は生身の人間を人形に模して、そして火傷して顔を隠した状態では声をあてていた深津絵里が演じていたのだけれど、それまではずっと人形が成長していく。

 特に幼少期では生身の人間が演じることによる非現実さ、「実際にはないよね」や「演じている子も大変だなぁ」とふと我に返ってしまうのだけれど、人形にすることで春琴が内包するサディスティックさが比べようもなく強くなったと感じた。また、深津絵里が発する春琴の声も素晴らしかった。同じ人形と言うと押井守の「イノセンス」を思い出し、その頃やっていた「球体関節人形展」にも足を運べばと今更後悔する。

 人形を動かし、なおかつ台詞をあて、演技をする。通常の舞台とはまるで異なる点は稽古場も相当だったのではと想像できる。最初、日本人の演出家ではないので肌に合わなかったらどうしようと思っていたが、結果としては杞憂に終わり、そうした発想はよろしくないと考えは改めることにした。

http://setagaya-pt.jp/theater_info/2009/03/post_148.html




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